散歩好き

井の頭公園で犬とまったり。

アレクサンドリア ☆☆☆☆

338395view001

この頃生活に必要な外出が終わるとソッコーで帰宅して閉じこもっていたのに気が付きました。お化粧もめんどくさいような気がするし・・・これはヤバい。というわけで映画でも観てくるかあ、とがんばって新宿ピカデリーで「アレクサンドリア」を観てきました。

計画停電の影響で、23区以外の映画館は休映をやむなくされています。いつも楽しませていただいている映画への恩返しとして少しでも映画業界にお金を落とさなければ・・・

と着いた新宿ピカデリー、こらっ!ロビーの暖房きき過ぎであっちっちだぞ[E:annoy]

4世紀末のエジプトはアレクサンドリア。美しく聡明なヒュパティア(レイチェル・ワイズ)は天文学・哲学の教師としてあまたの生徒を教えていたが、新興勢力であるキリスト教徒に虚仮にされたエジプトの神官が仕掛けた報復により返り討ちにあい、英知の結晶である図書館を襲撃されてしまう。エジプトの土着の宗教を排したキリスト教徒は次にユダヤ教徒も排斥し、ついにはヒュパティアを・・・

もうほんと、せつなくむなしい。

338395view008 せつないのは座席をずっと後ろからドカドカ蹴られ続けたからではありません。ここにはお互いの文化に対する尊敬などなく、ひたすら異教徒への軽蔑しかない。宗教からも自由であり、ひたすら高潔であろうとした女性などその流れの中ではただの魔女でしかなかったという虚しさ。

しかしここで学んだことは、宗教も大きな時の流れの中で変化を遂げ、寛容になっていくのかもしれないということです。その証拠に一部の寛容でない人々は「原理」主義と呼ばれているからです。

私はキリスト教系の中・高・大学と通いましたが、そこでの教えはひたすら「感謝と赦し」でしたがここまで来るのにいったいどれほどの血が必要だったのか。いえ、今も血は流され続けています。これがキリスト教の神が教えたいことだったのか?神の名のもとならば道徳に背くことをしてもいいのか?この素朴な疑問を奴隷のダオスが同じく感じ、苦しんでいます。これは21世紀になってもなお解決されない疑問であるとしてこの映画はダオスを通じて投げかけているのです。

ちなみにこの映画を観てからWikiでヒュパティアを検索したところ、恐ろしい記述が・・・(@Д@;映画のラストで石打になった彼女はバラバラにされてさらし者にされたとありましたが、

四旬節のある日、総司教キュリロスの部下である修道士たちは、馬車で学園に向かっていたヒュパティアを馬車から引きずりおろし、教会に連れ込んだあと、彼女を裸にして、カキの貝殻で、生きたまま彼女の肉を骨から削ぎ落として殺害した。(Wikipediaより引用)」ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ これホント~!?

恐ろしすぎる・・・人間ってどこまで信条の違う人に残酷になれるんでしょう。そしてその総司教キュリロスは「異教徒を追放した」という手柄により聖人に列せられましたが、なんとこれはつい100年ほど前のことなのです。戦争も殺した数が多すぎれば英雄ですが、宗教の世界でも徹底して人殺しすれば聖人なのですね。軽蔑します。現代では異教徒である我々に、できれば寛容な目でもって接していただきたいものですよ。

そしてこれまたWikiで知ったことですが、アレクサンドリアってアラビア語で「イスカンダル」て言うのね!銀河のかなたではなくてエジプトにあったとはね!