TOHOシネマズシャンテで「少女ファニーと運命の旅」を観てきました。
1943年、ドイツ支配下のフランス。13歳のユダヤ人少女ファニーは両親と別れ、妹2人とともに児童保護施設に匿われていたが、密告により別の施設へ避難するがそこも危険にさらされたため、支援者と一緒にスイスに逃れようとするが、引率のフランス人の若者が逃亡し、ファニーが子供達8人のリーダーとなってしまう。子供だけで無事スイスにたどり着けるのか❓
原作は大人になったファニー本人ですので結末は分かっているのですが、それでもハラハラドキドキ、かわいそうで涙ぐんじゃったりして…だって子供達がめっちゃかわいくて、他人事に思えないんだもん。
しかし長女というものはどうしてこう早く大人にならなければいけないものなのでしょう。泣きたいのに泣き顔を見せられず、出来ないことを任される。私も長女なので、その理不尽さは身に染みます…でもどこかで、兄弟姉妹あるいは年下のいとこが頑張ってる姿を見て感動したりして、またそうしてるうちにとんでもなく成長して妙に生活力ついたりして、長女ちゅうのはホントに大変だけどいいモンかも。
しかしながら子供が早く大人になってしまう社会は正常ではない。 「銃撃された時の逃げ方を知ってるかい❓ジグザグに逃げるんだよ❗️」 悪い予感しかしない。
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ドイツの占領下にあっても、ユダヤ人のために動いていた人はいます。児童保護施設で内緒でユダヤ人の子供を匿う人。ドイツ軍に連れていかれました。子供をスイスに逃すために気絶の演技をして目をそらせた人。皆命がけで他人の子供を守ろうと必死な人達です。逃げたように見えた引率の若者も、ファニーに手紙を届けさせることによって気持ちの支えとなったのです。
このような厳しい状況の中で、周りに迎合するタイプの私は正しいことを勇気を持って行動することが出来るかどうか、正直自信がありませんでした。しかし、英雄的な行動をする人だけが子供達の命を救ったのではありませんでした。
貨物列車に内緒で乗っていた子供達を発見し「10分後に逃げろ」と言ってくれた鉄道員のおじさん。 出て行ってくれと言いつつも納屋に子供達を泊めてくれたおじさん。ほんの少しだけ、今自分に出来るほんの少しのことをする、その小さな善意が複数の大きな善意を繋ぎとめて1つの大きな形を成すのです。
何かを為さなくたっていい、たとえば密告をしない、知ってるけど黙っている。何もしない事だって誰かの命を永らえることになります。 子供達がスイスにたどり着けたのは、それは子供達が頑張ったことは間違いないけれど、無数の善意がひとつの大きな力となって子供達をスイスに押しやった、そんな気もします。その力をもしかしたら「神」と呼ぶのかもしれません。