散歩好き

井の頭公園で犬とまったり。

彼らは生きていた

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アップリンク吉祥寺で「彼らは生きていた」を観てきました。第一次世界大戦でドイツ軍と戦うために志願した18歳〜の男の子たちが兵士として即席に訓練を受け戦場に送られ除隊するまでを、実際のニュース映像を元に構築した作品です。

伯父がシベリアに抑留されていたのでよくその話をしてくれたのですが、伯父の話は存外に面白く、今だに伯父の笑いとともに懐かしく思い出します。後年シベリア抑留が出てくる本を読んだりするにつけ、女の子だし怖がらせてはいけないという思いやりで怖い話をしなかったんだなと思っていましたが、さらに年月を経た今では、抑留生活は過酷ではあったけれど、伯父にとっては私に語ってくれた事もまた事実だったんだなと。

その伯父の話とは…

 
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深く大きな穴を掘りそこに木材を2本渡してう○こをするのですが、みんな同じようなところでするので凍ったう○こが尖っててそこに落ちるとう○こ山に刺さって死ぬ、とか、すっごく寒いのでものすごく急いでう○こをしないとう○こが出ないうちに凍ってお尻にくっついてしまいみんなで引き抜かなきゃならなくなるので、ギリギリの更に上の限界まで我慢して全速力で走って行かなきゃいけないとか、オシ○コをするとやはりすっごく寒くてものすごい湯気が出てしまうので足元が見えるようになるまで待たないとここでも落ちてう○こ山に刺さって死ぬ、という具合。従兄弟たちとウヒャヒャと笑ったものです^ ^;(私のブログ史上一番伏字を使用したなあ)

休暇中の兵士たちが並んでおしりを出して用を足している様子や、全員でひっくり返っちゃう映像が、いつも見ているチャカチャカしたスピードの定まらないモノクロ映像ではなく、デジタル処理してスピードも調整しているカラーの映像で流れるので、いつも感じるチャップリンの映画のようなフィクション感は消え、生々しく笑うそのへんの歯並びの悪いおにいちゃんとして目に飛び込んできます。まるで知ってる人みたいに。

この映画はピーター・ジャクソンが撮ったからこそいろんな意味を持っています。

まず彼の祖父がこの戦争へ行ったことで、このフィルムに出てくる一人一人に気持ちが寄り添えること。そして「ロード・オブ・ザ・リング」を撮ったことで原作者トールキンの行ったこの戦争を追体験したことです。

塹壕が雨で浸水し、死体が多数浸かった場所に渡された板を踏み外してしまう兵の姿はそのままフロドの旅に投影されていたし、眼前にそびえ立つバラド=ドゥーア(サウロンの大要塞)に勝つ見込みもなく生きて帰る保証もない戦いに挑むアラゴルン達はまるでこの映画内の作戦そっくりです。

祖国を守るという義憤に駆られた男の子たちは、戦争はイギリスの勝利で数ヶ月で終わると思っていた。激戦区に送られ左半身を吹き飛ばされ目が飛び出した状態で「ママ、ママ」と呼んでいる自分と同じ歳の頃の男の子の頭を撃って楽にしてやるなんて思ってなかった。幸運なことに生きて帰っても「自分だけ生きて帰ってきた」と冷たくあしらわれたり、(フロドの帰還した時のように)「いったいどこへ行ってたんだ?」と怪訝な顔で見られたりして、自分は何のために戦争へ行ったんだと自問する。何処かでやってる戦争はオラが村には遠すぎる話だったのです。

リング、溶岩の中にこれを捨てれば戦争が終わる、というような便利なものなどありはしない。ソンムの戦いに行ったトールキンがリングを使って表現したかったもの…権力という魔力は人を狂わせる。その欲求を捨て去るために仲間と力を合わせ、友情を育み、辛い試練を乗り越え、協力を得るために説得し、強い意志と知力を持つのがトールキンの考える戦いの仕方ではないのか。

関係ないけど、鈴木宗男氏は北海道の漁師さんの家族とロシアの海上警備をする人たちとでパーティーをして顔つなぎをしていたそうです。氏の政治的手法について語ろうとしているのではありませんが顔を知っている相手にはお互い無体なこと(例えば拿捕とか銃撃)はできないもの。知らないということは恐ろしさにすぐ繋がってしまいます。

現在はコロナウィルスのせいで相互理解が難しい状況ではありますが、その努力は怠らないようにしたいものです。この戦いにもトールキンの手法で立ち向かえると信じています。