散歩好き

井の頭公園で犬とまったり。

ソロモンの偽証 前後編 ☆☆☆

Image TOHOシネマズ府中で「ソロモンの偽証 後編」を見てきました。前編で原作にはなかった主人公を「裁判」へと導くエピソードを挿入したのは果たして正解だったのか?決着をつけに来ましたよ〜。 1990年の冬。雪の中に同級生柏木君の遺体を発見した藤野涼子は、真相を確かめるべく学校内裁判という驚くべき方法で自分たちの置かれている状況を暴こうとするが… 先に言ってしまえば…台無しですな。 Image_2 前編のプログラムを読むと、監督の涼子が「裁判」へと駆り立てられる動機付けが弱かったので、決定的なエピソードを挿れたということでしたが、はっきり言ってこれは尺が足りないので手っ取り早く裁判に持って行きたかっただけのように思われます。 そりゃそうですね、分厚い文庫本6冊にも及ぶ原作を前後編にまとめるのに、あの緻密かつ丁寧に積み上げられた動機付けをやれって方が間違ってるし、やれば薄っぺらになるのはわかっている。しかし、このせいで中学2年生という極めて特殊な年頃の真っ直ぐすぎる正義感とか、そういった誰でもが懐かしくも恥ずかしい思いをすべてスパッと捨て去って、裁判を単なる事件に対する解決策としてしまったのは残念でなりません。 で、そのオトシマエはどうつけるのかと思ってたら、なーんじゃあれは[E:annoy]ごめんなさいって叫んで倒れるって[E:dash]あれで一気に作品全体が安っぽくなっちゃったじゃないよ[E:sign03]「模倣犯」のラストシーンで超がっかりしたのをおもいだしちゃった… その上あの神原君のごねっぷりはなんだね?あれじゃあラストのカタルシスがもやっとしちゃうでしょ。陪審員長の子が判決を言い渡す、その内容が簡潔かつ中学生らしい明るさに満ちていて、重苦しい雰囲気に長い間耐えていた読者の心をフッと軽くするある種のカタルシスをもたらすと思っていたのですが、それもバサッといっちゃって本当に残念です。 しかしこれも仕方ないことでして、文庫本6冊で宮部みゆき氏は登場人物特に中学生ひとりひとりを入念に書き込むことでキャラを立たせているので読後登場人物全員を好きになってしまうという現象が起こるのですが、悲しいかなそのような余裕があるはずがなく、全体に主要人物以外のキャラが薄くなり、判決を言い渡す役の子の体育会系っぽい明るくこざっぱりしたいかにも健康な言いようが使えない悲劇。ああ、どうしてこの作品をせめて半年のドラマに出来なかったのか…[E:weep] 神原君といえば、どうしてあの印象的な登場シーンを削ったのか理解できない。柏原君と雰囲気が何処と無く似ているという設定も無視しては、最初の我々をミスリードするシーンも当然削らざるを得なかったのがさらに悔しい。そう、私は昔からの宮部みゆきファンなのだ。 しかし散々文句を言った後だが成功している箇所もある。 この「ソロモンの偽証」では、柏木君は「失楽園」における悪魔の役回しであり、裁判はその悪魔の行為に対し傷ついた人々に与えられたカタルシスであると思うのだ。 柏木君は善良に生きていると思っている人々の心の中にある触れて欲しくない場所をひっかくように傷つけさらけ出してダメージを与える。皆がおののく「あの目」は悪魔の目なのだ。その目をのぞいたら、試され囚われてしまうのだ。そして悪魔は死という私たちには手の届かない場所からどうするかをじっと見ている。 囚われ振り回される人たちは自分の内にある悪に気付きただ苦しむが、「それでも生きていく」。そしてその救いの場所が「学校裁判」なのだ。自分の非を認め謝罪する。断罪され許しを請う。告白する。後悔しうなだれ涙を流す。色々な方法でのカタルシスだ… この部分においては明確に映画で表現しており、特に柏木君役の子は自分の役回りをよく理解して演じていたところを高く評価したい。(欲を言えばあのかわいい子じゃなくて、もちょっとシャープな感じの子が良かったんだけど、かわいい子が悪魔的所業というのもまたおもしろいものです。) 中学生のみんな、厳しいオーディションを勝ち抜いてきているだけあって素晴らしい演技ですし、ほとんどの子が原作のイメージを壊さない。特に三宅樹里役の石井杏奈ちゃん、素晴らしいですな。将来に期待します。