アップリンク吉祥寺で「ポトフ 美食家と料理人」を観てきました。
一緒に行ったイヌトモKさんが「冒頭30分はずっとお料理のシーンらしいよ」と教えてくれたので、お腹が鳴らないように小腹を満たしてから臨んだのにも関わらず、あまりにもステキすぎるお料理にヨダレで溺れそうになりました。
舌平目のクリームソースとか、子羊のグリルとか出てくるものは普通にフレンチに行けばあるものですが、そこは美食家主催のデジュネ。あらゆる手技を尽くして調理してあります。
例えば子羊のグリルは覚えているだけでも3回グリルに入れていたし、舌平目は牛乳で茹でてから皮を手で剥いて、という風。圧巻です。普段美味しい〜とか言って呑気に食べてるお料理にこんな手がかかってるとは。
日本料理と外国の料理の違いを語るときによく言われるのが、前者は素材を生かす手法を使い、後者は素材を変身させる手法を用いるということです。外国に行くと道は基本まっすぐで、ブロックに分かれて整然としています。田舎は違いましたけどね。これは自然は征服するものだからと。私たち日本人は自然は逆らえないもの、八百万の神には逆らわないので道は自然に合わせたものになり、曲がりくねります。ウチのあたりなんかぐにゃっと曲がっているので方向感覚がおかしくなり方向音痴のダンナは何十年住んでいても遭難します。いいのか悪いのかわからなくなってきましたが、まあ結局のところどっちも美味しい!みんなちがってみんないいんじゃ。
料理人は美食家のパートナー。ジュリエット・ビノシュしばらく見ないウチに妖艶なオバサンになってました。
たぶん時代はドレスから想像するに印象派の頃、1890年くらいでしょうか。調理は炭や薪を使うオーブンでしているのもおもしろく、へえ、炭を起こしたものを溜めておいてそこから掬ってかまどに継ぎ足すのかあ〜などと色々勉強になりました。
撮影は吹き替えをしないスタイルで、料理中の息遣いも荒々しく、足音や鍋の音、小鳥の声、風の音などがないまぜとなり文字通り息吹を感じさせます。「生きることは食べること」と行きつけの獣医さんが言っていましたが、まさにそれでした。
一心同体だった片割れをなくしたとき、どう立ち直るのか。二人で構築していた思想はどうやって再び具現化できるのか。一心同体とはもう離れ離れにはならず、生き残った片割れの中にもうひとりが生きているのです。失った部分を補い、自分の中に生きている片割れの声を静かに聞き、また再び生きていくことはすなわち片割れの人生を継続することにもなるのでしょう。