散歩好き

井の頭公園で犬とまったり。

15時17分、パリ行き

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急いで観なきゃ終わっちゃうシリーズ第2弾。Tジョイ大泉で「15時17分、パリ行き」を観てきました。春休みが始まったのか、私の席の周りはグループで観に来た中学生らしい男の子が。「ブラックパンサー」ではなくこっちを選ぶあたり君たち渋いね。

幼馴染のスペンサー、アレク、アンソニーの3人は22歳。夏休みを利用して3週間のヨーロッパ旅行に出かけた。楽しく、時にハメを外した旅行は順調に進み、彼らはアムステルダム中央駅15時17分発のパリ行きに乗り込んでパリを目指していた・・・

事実をここまで魅力的な1本に仕立てるって、イーストウッド監督あんた天才だね。(いまさら?)

 

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映画はこの3人の小学生時から始まり、スタンドバイミーとかそういう青春ものやロードムービー的な展開を見せます。「オズの魔法使い」とか。ローマのコロッセオやトレビの泉、ヴェネツィアなどではしゃぐ彼らはまったく普通の若い旅行者。観ている私たちも、「ローマの休日」や「ツーリスト」を思い出したりしてその美しい景色に酔う。そう、これは普通の生活の中で「まさかの事態」が起こったとき、普通の人たちはどうするのか、という映画なのです。

 

 

 

 

 

(スペンサーとアレクは空軍と海軍の兵士であるが、アンソニーは大学生です。)

ニュースでこの事件を知ったとき、「たまたまテロリストに兵士が遭遇するなんてw」という軽い偶然のいたずらのような印象を持ってしまっていたのですが、イーストウッド監督は実際に同じ電車を走らせ、この3名のほかに救助に当たった人やなんと犯人に撃たれた人とその妻まで本人を出演させ、事実に忠実に撮影するという驚くべき手法を取ったため、その場で起こったことを私たちは驚愕を以て知ることができたのです。

 

 

 

 

 

 

そして、スペンサーがヴェネティアで「運命に動かされているようだ」と語ったとおり、選ばれた3人が神の手でそこにおかれたように居合わすために、3人が生まれ育ったような、奇妙な運命にうならされてしまいました。神の手でなければ、なぜ一体あそこで銃があんな風に・・・?

 

私はカトリック系の中高に通っていたので、そこで「私たちは神に『生かされている』」とシスターから何度も語られましたが、反抗期だった私はそれでは生きることに主体性がないと否定的にとらえていました。でも自分の生を肯定できたときはじめて、人は「このために生かされてきた」と思えるのかもしれません。

 

 

たとえこの3人のようなヒロイックな出来事がなくても、「生きててよかったなあ」と思ったときに自分が自分であるために経験した様々なことに思いをはせて。まあ私なんかサバイバル関係では全然役に立たないので、せいぜい犯人の血流が悪くなるくらい紐でぎゅーっと縛れるくらいが関の山ですかねえ。いつも着付けで帯締めをきつーく結んでいますからねw

 

 

 

俳優を使わないで素人である当事者を出演させたことに色々意見があるらしいですが、この作為的ではなく、かえって素人くさいがゆえに映画ではなく事実を観ているような不思議な感覚に陥ります。かといってただドキュメンタリーチックにカメラを構えて取っているのとは違い、気づかないような伏線を張ったりしてきちんと映画になっているあたり、イーストウッド監督すごいなあ、と。そして上映時間が短いのもびっくり。

 

 

 

 

 

ハドソン川の奇跡」もそうでしたが、ものすごい大ドラマを観たような充実感があるのに、1時間半くらいってどんだけダシが効いてるんだ?イーストウッド監督の映画を観るたび、強く思います。「どうぞ元気で長生きして、映画を撮り続けてください」。私の周りの男の子たちもあなたの映画で泣いていましたよ。