散歩好き

井の頭公園で犬とまったり。

マンデラの名もなき看守

1 シネカノン有楽町1丁目に「マンデラの名もなき看守」を観にいきました。関係ないけどこのシアター、やたらスクリーンが遠く小さく感じる。スタジアムシートなのでストレスは少ないんですが。

それにしてもジョゼフ・ファインズ。「キリング・ミー・ソフトリー」や「エリザベス」の時は怪しいまでの色っぽさでクラクラしたもんですが、なんだか伸びたジョン・トラボルタみたいになっちゃって、序盤「ジョゼフ・・・?ホントにジョゼフ・・・?」レイフ・ファインズの弟さんですね。

原題は「グッバイ、バファナ」。最後にこの言葉が出てきます。

人種差別バリバリの(といってもこの頃南アフリカに住む白人としてはフツーの考え方だった)ジェームス・グレゴリーは、幼い頃、マンデラの故郷の近くで育ったため、同じコーサ語を理解します。そのためペーペーの刑務官だった彼は異例の大出世、「超有名テロリスト・マンデラ」の担当になります。

アパルトヘイト廃止は1992年。ホントに最近です。勉強になります。

2 ジェイムズは幼い頃黒人の友人がおり、棒術を教えてもらうなど大変親しくしていたのを複雑な記憶として持っています。大切な友達ではあるけれど、オトナのジョーシキとしては黒人の友達などありえないこと。

マンデラの担当となり、彼らの言葉を探るスパイとして働くうち、仕事をすることにより彼らやその仲間の命を奪ったという事実がジェイムズを責めます。特に、マンデラの息子が謎の事故死をしたことは、同じ息子をもつ身として耐えられず、コーサ語でマンデラにお悔やみを伝えるという、白人としてあるまじき行為に出てしまいます。このことをきっかけに2人の心は歩み寄り始め、長い長い付き合いが始まるのです。

マンデラとの交流の中、ジェイムズは黒人の友人の記憶・マンデラの人として正しい言葉・夫として妻にいい生活をさせてやりたい気持ちの中で揺れ動きます。結果として自分の正しい気持ちを信じ「歴史の中のヒトコマになるために」動いていくのです。その気持ちは息子にも、最後には妻にも通じ、理解を得ていきます。

3 ジェイムズはマンデラの偉大さ・高名さの前では本当に小さな存在ですが、世界の歴史の中の確かなヒトコマとなりました。しかし彼はヒトコマである以上に「よく生きる」という偉大な生き方をしたのでした。

理解と許容。この言葉のなんと難しいことか、しみじみと身に沁みる映画でした。特に「自由憲章」の言葉の美しさには、感動しました。観るべし。