中学時代からの友人Bに誘われ「ミュシャ展」 に行ってきました。
先にランチを食べてからゆっくり見ようか、と国立新美術館に入館したところ、ものすごい行列が[E:coldsweats02]同時開催の「草間彌生展」でした。あんーまり興味ないのでミュシャじゃなくてよかったあ~と思いつつ2Fに上がるとミュシャもものすごい行列[E:coldsweats02]うっそーん[E:sweat01]
まあここまで来たら仕方ないのでゆっくりご飯食べて腹を据えて観に行くか、とランチが終わってから入場したら、まあ混んでいましたわな。
入場して驚愕。6m×8mの巨大な絵が20枚!これはもうスペクタクルと呼ばずしてなんとしよう。友人Bとポカーン( ゚д゚)と口を開けてあっけにとられたあと、
「どうやってこんな巨大な絵を描いたの?足場を組んだら全体像が見えにくいよね?」
「これってキャンバスでしょ?16年かかったって言ってたけどお金どうしたの?」
「そうだよ、絵具だってこの面積塗ったらものすごい量だよね」
などなど疑問が噴出しました。
ミュシャはチェコの生まれで、フランスで女優サラ・ベルナールからポスターの制作の依頼を受けて(正確には印刷所からね)大人気になり、一躍アールヌーヴォーの寵児となりましたが、万博の仕事でボスニアヘルツェゴビナに行った際、大国に支配される小国の現状を見て衝撃を受けます。その後移り住んだアメリカでスラブ人コミュニティの団体を立ち上げ、その関係で知己を得た実業家の援助を受けてこれらの大作の制作に取り掛かれたそうです。
この展示では一般的な呼び方として「ミュシャ展」と銘打っていますが、本来チェコでは「ムハ」と発音するそうで、「スラブ叙事詩」の展示では「ムハ」に統一していました。
ゴーギャンがグーガンになって(誰っ?)また最近ゴーギャンになったり、クラナッハがクラーナハになったり(この友人Bが「じゃあバッハは『バハ』だよね」と言った)、年寄りは憶えなおすのが億劫でのう…
ここの展示室の作品はフラッシュを使用しなければ撮影OKということなので、撮ってみました。上部分メインなのは人がたっくさん映り込んでしまうから。共産主義の理想に憧れロシアに行ってみたところ、民衆の悲惨な状況に幻滅して描いた作品。
この絵は古代のしきたりに従い青年たちがチェコの木である菩提樹の下で行った集会を描いています。実際に見るより、画像にとって見た方が立体感があって驚きました。やはり鑑賞に距離が必要なのね。
ものすごい大迫力!あふれ出す喜び、生々しいエネルギーに圧倒されます。
この20枚の大作は、つい最近まで忘れられたように収蔵されており、2012年になって公開後大評判となりました。海外に出たのは今回が初めてだそうで、すごいじゃん!と素直に嬉しいです。いい仕事してくれたねえ。
四つの花「カーネーション」「ユリ」「バラ」「アイリス」。
ミュシャといえばこういう画風。おフランスで大人気を博したポスターシリーズです。これらは後半に展示されています。友人Bはグラフィックデザイナーなので、
「んー、なんだろうこの白い部分」
「ああ、広告かプレイガイドの場所をスタンプで押したんじゃね?」
私「えーと先生、ここの右下の部分にですね、〇㎝×〇㎝で広告打ちますので、ちょっと開けといて貰えますかね」
B「あっ、でもそこに空白作っちゃうと全体のバランスが…」
私「いやいや、クライアント様のご意向ですのでね」
B「えっアッ…そぅですか…わかりました…」
的な小芝居をしたり、結局お蔵入りになった大作の前では
私「すいませーん先生、この間のあの力作の件なんですけれどもー」
B「はいはい」
私「大変申し訳ないんですけれどもー、あちら様のご都合によりまして、展示できなくなってしまったんですねー」
B「えー!でもあれ製作期間もすっごいかかっちゃってて私自身もすごい力入れて描いて」
私「ほんっとに申し訳ございませーん!わたくしどもの力不足でございまして」
B「(泣)」
B「いやもうほんと、今も昔も代理店とクライアントにはホント泣かされるんだよ」
大家ミュシャとはいえ、はじめはただのグラフィックデザイナーだったのかなと考えると面白いですね。
ところで収蔵がどれもこれも「堺市」となっていて、どんだけ堺市の学芸員ミュシャ好きなんだろねと話していたところ、そうじゃなくて、カメラのドイの創業者がミュシャの知名度がそれほど高くない時から気に入って買い集め、死後に遺族が堺市に寄贈したためだそうです。すばらしい。
私は土曜日に行ったのですごい人出でしたが、平日はそうでもないということです。チェコまで行くのは大変なので、今のうちに生でこの迫力満点のデカい絵を観よう[E:sign03]