スペインに行ってきました 4日目
4日目は私的には聖地セビリアの観光です。まずはスペイン広場からですが、どこにでもこの名前の広場があるのね。
スペインの全ての州の紹介をタイルで表現。今日ガイドしてくださるSさんのご主人は日本人ですがなんと元闘牛士なんだって!闘牛については、動物好きの私は観たりはしないけれど地元の大切な文化であるものをむやみに反対してやめさせるようなことはしません。だからご主人の事を素直に「カッコイイ〜❤️」と思います。
あまりこの地方では大きな石が取れないのでタイル文化が発達したのだそうです。イスラムの影響ももちろんあります。
2Fに上がってみると波打った屋根。
広場を出ていよいよアルカサルへ向かいます。途中でペドロ1世の愛人アルドンサが住んでいた黄金の塔が!今はこんな色だけど、当時は黄金色のタイルで覆われていたらしい。
タダの廃屋ではなくて、中世の造幣局だって。個人の方が買ったので、近くレストランにでもしようかな〜?って言ってるそうです。
暴走自転車が多くてこの標識なんだそうですが、10キロ/時て守るかい?
つつつついにアルカサルに・・・感無量です。ペドロ様、私ついに来ましたよ!!
セビリアのアルカサルはレコンキスタの一環で奪還されたセビリアにあったモスクをカスティーリャ王国の国王ペドロ1世(在位1350~1366年、1367~1369年)の命により改装されたもの。グラナダからムスリムの工人を呼んで作らせたので、ヨーロッパ風というよりイスラム風なのがペテロ1世の度量の大きさです。彼は財務官にユダヤ人を採用するなど、グローバルな人材でしたが、100年ののちその彼の子孫によりレコンキスタが終了し、同時にモーロ人やユダヤ人の排斥が始まったのは残念なことです。
入り口に立つ。「アルカサル-王城-」を月刊プリンセスで初めて読んだのはキッチリ30年前。7年前に完結するまでに2度も連載雑誌の廃刊を経ているため途中見失った時期もありましたが、完結編がプリンセスゴールドに前後編で掲載された時は歴史上の人物なので結末を知っていたとは言え涙また涙で…[E:crying]
この作品のおかげで苦手だった中世ヨーロッパの横軸縦軸が揃うようになりました。いわば私の世界史の楔と言える存在なのです。
元がモスクだし工人もモスリムなので「アッラーは偉大なり」と描いてありますが、その周囲に「最高貴にして最高位、最強なるレオンとカスティーリャの王ペドロ」とも描いてあるのです。この文を思い出すだけで胸が熱くなってしまいます。
美しいパティオ。なんも言えねー。
どこを観てもこの美しい建築物や風景の中にペドロ1世やマリア・デ・パディーリヤが歩き、笑っていたのかと…
「PULS ULTRA」カルロス1世のモットー(?)「もっと遠くへ」という意味だそうです。国土拡大を目指す言葉で、帯が柱に巻きついている図柄はドルマークの起源らしい。
皇太子がいらした際にここでお食事されたそうですが、もともと空き部屋でお納戸的な使い方をしているので、皇太子がお帰りになったあとはやはり物を仕舞って鍵をかけているそうです。ガイドさんが「失礼な!」と怒っていた。
次はセビリア大聖堂です。
ヴァチカンのサン・ピエトロ寺院、フィレンツェのサンタ・マリア・デルフィオーレについで世界第三位の規模を誇る大聖堂だそうですが、ガイドさんによると「第三位が結構ある」だって[E:coldsweats01]そういやミラノの大聖堂もでっかかったよなー。
おお、確かに雰囲気違うなあ。
世界一大きい祭壇。これは本当らしいですよ。神秘的…さすがカトリック国を称しただけあるなあ。
柵に手を入れてとりました。もの凄い迫力です。
コロンブスのお墓。当時スペインを形成していた4人の王様が柩を掲げ持っています。カスティーリャ、アラゴン、ナバーラ、グラナダだろうか?
コロンブスの息子さんのお墓。隣にある国立図書館に膨大な量の資料を寄付したそうです。
少ない自由時間にヒラルダの塔に登ります。後でガイドさんにどうしても聞きたいことがあるのでサクサク急いで登りますが、渋滞は如何ともし難い。階段ではなく坂道なのですっごく登りやすいのですが、これは別にバリアフリーではなく、塔がモスクだった頃、お祈りの時間を知らせるのにロバで登っていたからです。
外から見るとこんな感じ。もともとあった尖塔の上にさらに付け足したのですね。
四方から素晴らしい眺めを堪能出来ます。涼しいし気持ちいーい!
でも私には時間がない。
塔を降りてすぐにガイドさんに「すみません、ペドロ1世のお墓があるはずなんですがどこですか?」と聞くと、たまたま他のグループのガイドさんや添乗員さんが数人近くにいてその中の男性ガイドさんが「事情」を察知。すうっと近寄ってきてカバンからおもむろにホルダーを出して私に見せたのは、「アルカサル-王城-」のカラーデジタルコピーでした[E:wobbly]
彼が言うには、ペドロ1世のお墓は非公開で地下にあること、見学には事前に許可がいるがガイドをやって長い自分ですらまだ観たことがないこと、多分青池保子先生はなんらかのコネがあって見ることが出来たのであろうということでした。それでもこの近くにぶ厚いカーテンの引いてある場所があって、そこが墓所への入り口であると教えてくれました。
ここにペドロ1世が…正確にはお墓ではなく、納骨箱が並べてあるそうなのですが、モンティエルで非業の死を遂げた彼は王位簒奪者によって歴史的に貶められたのち、修道士によってセビリアに運ばれ改めて葬られたということを考えると、よくぞ家族(妻や長男)と再び巡り会えたものだなあと深い感動を覚えます。
セビリアでは自由行動の時間がなく、「ペドロの首」の彫像も、マルティン・ロペスが処刑されたサンフランシスコ広場も観られなかったけれど、それでも実際にセビリアにいることでペドロ1世を身近に感じることが出来て本当に嬉しかった。仮に時間があっても、ダンナにとっては「なーんだここ?」的なコアな場所ですので本当に行くかどうかは微妙ですからね。
この後ユダヤ人街を通りました。どこの大きい都市にでもあるんだなあ。でも隔離されているのでペストのパンデミックの際はそれが幸いし感染を免れたそうですが、逆にそれが疑われる元となり、「ユダヤ人が毒を盛った」と虐殺されてしまうのです。トレドでもユダヤ人大虐殺がありました。
興奮し過ぎてお腹が減った。お昼ごはんは近郊のサン・マルコでいただきます。
私の前菜、サーモンのカルパッチョ。疲れているのでさっぱりしたのが嬉しい。
ダンナの前菜。なんだっけ。
チキンロール。中にデーツ(ナツメヤシ)がはいってて、ほんのり甘くて美味しいの。でもダンナの味覚は保守的なので、甘いソースはイヤなんだって。
デザートはシュークリームのチョコがけ。あれ?硬くてちょっと苦いような気がするけど…
あー!私のだけやっぱり焦げてたんじゃないの![E:pout]ダンナのを貰いました。
午後はバスでアルハンブラに向かいます。
3時間ほどで到着。
今日はなんとアルハンブラ宮殿内の修道院ホテルに泊まります。なかなか個人では予約が取れないそうですよ。
スーテーキー❗️[E:happy01][E:heart04]
内部はキレイに改装されています。添乗員さんによると以前はもっと古くて怖くて、中世の幽霊が出そうな感じだったそうです。私はそっちでもいいけど?
晩ごはんまで少し時間があったので、ぶらり散歩に出ます。なんて贅沢な散歩でしょう。
見晴らしのいい場所。ホントにアルハンブラにいるなんて信じられない。
そろそろお部屋に戻った方がいい時間かも。
ダンナの担当美容師さんはここでランチしたそうです。
廊下にここに泊まったセレブの写真が飾ってありました。オマー・シャリフ達に混ざって
伊東四朗さんが[E:coldsweats01]
今日はホテルディナー。メニューはすでに選んでいるので席に着けばスタートですが、
ドリンクメニューがビミョーで笑える。
前菜。この皮なんだろね?
私のガスパチョ。今迄食べたガスパチョの中で一番美味しい!
こちらはダンナの。
おいしいねー!北欧のホテルディナーと大違いだねー❗️なんて言いながら食べてたら、生ギター演奏が始まりました。まさかのー、アルハンブラの思い出!!
ハイ!ダンダンダン!ベタベッタ!ダダンダダン!ベタでーーーーす❗️
フラメンコもずいぶんベタだとは思いましたが、これはベタだ。
イベリコ豚のソテー。柔らかくて超美味しいんだけど、多すぎだってば!
ダンナのグリル野菜。イベリコ豚とこれでシェアして食べましたがこの段階でお腹パンパンなのに、
うっそ!って量のデザート登場。美味しいけどもう無理!
お腹いっぱい過ぎて死にそうなので、ライトアップを観に行くことにしました。が、スペインは治安が悪いとさんざん嚇かされているので、恐る恐る行くと・・・めっちゃ人おるやん!夕方より人大杉、ワイワイしてましたので安心して回りました。
せっかくなので、夕方見晴らしがよかった場所に行ってみようと思ったら、でっかいおっさんとオバハンが大きな声で「チケット❓❗️」
えー、夜はお金取るの〜?とびっくりしながらすごすごとタダの夜景を観てお部屋へ帰りましたとさ。
明日はいよいよアルハンブラ宮殿見学です。